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第1章 食から始める放射能対策
原爆の後遺症を克服した食事とは
日本が放射能の恐怖にさらされたのは今回が初めてではありません。
これまでも原発事故はありましたし、大気圏内核実験による放射性物質の飛散もありました。そして何より日本は唯一の被爆国です。つまり、日本人はこれまで何度も放射能というものに直面させられてきたことになります。
それを踏まえると、現在の広島と長崎の姿は、今後の福島や近県の放射能被害からの復興に希望を与えてくれるものといえそうです。原爆投下当時、広島や長崎では大量の放射性物質が撒き散らされましたが、わずかな期間のうちに繁栄した街として復興しました。もちろん、今では農作物などにも何ら問題は見られません。
また長崎では、原爆投下直後から献身的に被災者の救護と治療に活躍した長崎浦上第一病院(現・聖フランシスコ病院)の医長であった秋月辰一郎医師が、いわゆる「原爆症」(原爆の放射能による後遺症)を防ぐ食生活を発見しています。
彼の著書によると、爆心地からほど近いところに廃墟として残った病院で、彼と病院のスタッフたちは焼け出された患者を治療し続けたそうです。
その病院は長崎市内の味噌と醤油の倉庫になっていたので玄米と味噌は豊富にあり、さらにワカメもたくさん保存していたので、病院のスタッフたちの食事は必然的に「玄米のご飯とワカメの味噌汁」となりました。
秋月医師はかつて、その同じ食事で自らの結核が治ったと信じていたので、原爆症を防ぐにも役立つと考えていたようです。また、秋月医師は砂糖を含む甘いものも避けるように指示しました。
結果、病院のスタッフたちの中に原爆症を発症した者は一人もいなかったのです。これは特筆すべきことだといえるでしょう。
一方、広島では9歳で被爆した少女が玄米食で回復したという話もあります。
被爆によって全身にやけどを負った彼女は原爆症となり、夏場はケロイドからウジがわき出すありさまでした。しかしその後、放射線の研究のために広島大学工学部へ進学した彼女はそこで出会った男性から玄米食を勧められ、それに従います。
結果、ケロイドの皮膚はポロポロと剥がれ落ちてきました。
後にその男性と結婚した彼女は七人の子どもを産み育てたといいますから、まさに玄米との出会いこそが彼女を救ったのだといえそうです。
玄米に含まれるフィチン酸という成分には、有害な重金属を含む金属イオンを吸着して体外へ排出する作用が知られています。一説には放射性物質も吸着・排出できるといわれていますから、それが彼女の生死を分けたのかもしれません。
